
プロレスを引退しようとしていたジンダー・マハル
その頃(2014年)、俺はありとあらゆることをやっていたんだ。大きく名を上げて、全てが素晴らしく上手くいっていた。
ジンダーとはタンパにあるMacDinton’s(※アイリッシュパブ)─長年妻も含めたみんなで通っていた場所で会った。そこで彼はレスリングを辞めようとしていること、SUBWAYか何かのようなフランチャイズをやろうかと検討しているところだと話してくれた。
ジンダーは本当に賢い男だ。彼なら何をやっても上手くやれると思った。だけど、やはり彼がレスリングを諦めようとしているのを聞くのは気が滅入るような思いでもあった。だって、レスリングは彼がこれまでしてきたことの全てなのだから。
この話の後、俺は「クソ、彼のために何かできたらなあ」と考えていた。でもその後すぐに彼はトレーニングを始めた。自分自身を律し、酒も辞めて、どんどん見栄えの良い身体へと変わっていったんだ。そうして彼はWWEから再び電話を貰うことになった。
10歳、FBIと初接触
子供の頃、Xファクターという雑誌を購読していたんだ。そこには様々なことが掲載されていたが、危険な動物、幽霊の話、陰謀論なんてことが主だった。
10歳になった頃、米国情報公開法に基く情報請求の自由から、FBIへ手紙を書いてアメリカへ送ったんだ。請求内容はその本に書いてあったことに関してだったんだけど、すぐに3部の書類が届いた。
ある日家に帰ったら、父さんがその書類を手に持ち「息子よ、何でFBIがお前に物を送ってきているんだ?」と尋ねてきたんだ。それに「父さん、俺が頼んだからだよ」と答えても「つまり…?」と。「もう一度言うけど、情報請求の自由の下に俺自身が頼んだんだよ」と返すと「お前10歳だぞ!一体どうしたって言うんだ?」って。どうも変わった子供だったみたいだ。
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母の死と共に生きること
長い間、母さんが亡くなったことがどれだけ自分自身に影響を与えているか気付いていなかったように思うんだ。その理由は、まさしくそれだけ大きな影響を受けていたからにほかならない。俺は本当に長きに渡って道を踏み外していた。
俺は生涯、母親の死に対して適切に対処することなどできないのだろう。正直なところ、これまでの人生で一度も彼女の死を乗り越えられたことは無いし、そのようなことはこれからも決して無いと思う。
だがある時俺は悟った。何とか彼女の死と折り合いをつけていかなければいけないということをな。同様に、彼女が当時の俺の振る舞い─自らチャンスを、人生を投げ出そうとする姿を見たら失望するだろうとも感じた。人生はとても短いのだから。彼女は「人生は短いかもしれないが、そこでどれだけのものを得られるのか」というお手本のような人だった。
プロレスにおける弟の存在
彼は俺の最初のレスリングパートナーだったんだ。俺達はよく二人で闘っていて、最終的にはいつも俺が弟をぶちのめして泣かせてしまっていた。奇妙な子供達だったな(笑)
俺達は別に闘うために闘っていたのではなくて、ただ辺りを転がり回ったり殴り合ったり、ホールドしたりブレイクしたり…俺達は二人でできる限りのいい試合をしようとしていたように思える。お互い好きなキャラクターとムーブセットを選び、ベストマッチを目指す…最終的に弟を泣かせるまではね。
俺達は本当に一風変わった子供達だった。他の兄弟や友達が闘うのを─転がり回って訳分からないことばかりしてるのを─観て、「観ろよアレ、自分達で何をしてるのか全然わかってないんだ!」なんて(笑)
俺達はいつもベストな試合をしようとしていた。人々が、たとえ公園でも俺達の周りをぐるりと囲うから、尚更レスリングに熱中していったね。それが実際に機能しているかは分からなかったけど、子供の頃から人々を楽しませたい、できる限りのいい試合をしてもっと関心を引きたいと思っていたんだ。
◇
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