
※何度も書きますが、AEWも存在しなかった頃の古い記事です
The Jim Ross Report w/Marty Scurll 11.07.18
マーティーとプロレスリング
実は、若い頃に働いていた殆どの仕事でクビになってるんだ。どうしても集中力が続かなくて。学校ではいい成績だったけれど、俺は常にトラブルの渦中にいた。よく謹慎を言い渡されたり…とにかく、言われたことをやるのが得意じゃなかったんだ。
それは勿論俺自身の問題だが、レスリングというものにおいては、それを活かすことができていると思う。さっきも言った通り、俺は毎回ベストな仕事をしている。俺が思うに、それは自分自身の考えで動けているからだと思うんだ。
(ジムロスの「君は今、望めばどこの団体にでも行ける」という言葉に対し、)ああ、それはここ五年間でインディーが至った境地を大いに指し示すことだと思う。
俺が業界入りしたのはWCWが、ECWがWWFに買収された頃だった。つまり、選択肢なんてなかった。「WWEに行くか、行かないか」のただそれだけだったんだ。
最近、NJPWやROHのような団体が大きく育ってきた。それはつまり、俺たちにお金を稼ぐための新たなプラットフォームを提供してくれているということだ。
今じゃアメリカ中のショッピングモールで俺達のTシャツが売られている。スタジアムでショーを開催もしたし、俺たちのFunko popだってあるんだ。俺たちはもう、”金を稼ぐためにWWEに行かなきゃいけない”なんて時代に生きていないのかもしれない。
それに、”自分自身のボスになる”というのはどこか非常に満たされるものがあるんだ。プロレスラーはいつだって独立請負人(=期限付きで専門性の高い仕事を行う個人事業主の意)だが、WWEの選手達ははいつも「え?本当に個人事業主なの?君が?」と聞かれるだろう。
だが俺の場合は、自分自身が自分のボスであり、自ら決断を下すことができる。行きたい時に、行きたい場所に行けるんだ。本当にクールだよ。
WWEに関して言えば、それが本当に俺のやりたいことなのかわからない。
だけど、自分のレッスルマニア・エントランスに思いを馳せないと言ったらウソになる。多くのファンが支持している凄まじい規模の団体であるのもわかっている。だけど…
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プロレスにおけるイギリスとアメリカの違い
1992年のサマースラムの時、俺は4歳だった。俺はブルドックの大ファンだったんだ。レスリングの世界でもそこに違いがあるのは明白だった。アメリカは規模も大きく、カラフルだった一方で、ヨーロッパでは伝統や厳格さが持て囃されていたからね。
ヨーロッパではホーガンやウォーリアーよりも、ブルドックやブレットの方が人気があった。つまり、スポーツライクな方がより好まれていたんだ。
えーと…あれはアメリカに来て、さあ名を売ろうという時にぶち当たった困難だったな。
俺のフィニッシュムーブはクロスフェース・チキンウイング・サブミッションだ。キャリアを重ねる内に、アメリカ人はサブミッションでタップ負けをすることでエゴを傷つけられるのだと知ったんだ。
気付いた時は衝撃だったよ。だってリアルファイトなら…もし今俺とジムが闘ったら、ジムにとっては相手の肩を床に三秒押し付けてピンを取るより、俺を捕まえて関節技でタップを奪う方がずっと簡単なはずだ。つまり、そっちの方が説得力があるということだ。
その点日本はよりスポーツベースでプロレスを観ているから、そうしたスタイルも受け入れられやすい。ザック・セイバーJrなんかは好例だ。
サブミッションでタップ負けを喫すること、それは誰にでも起こり得る。あのブロック・レスナーでさえ初戦はサブミッションで負けてるんだぞ!だからアメリカのカルチャーは本当に奇妙だと思うよ。
ウィルオスプレイとの関係
(JR「ウィル・オスプレイとはいつも、素晴らしい化学反応を見せてくれるね」)ああ、そうだな。ハイフライムーブにおいて、オスプレイの右に出るものはいない。
オスプレイと俺のような選手が同じリングに立つと、スタイルのコントラストが際立つ。アイツがアスレチックムーブを繰り出す一方で、俺はよりヒールムーブやマットレスリングを披露してみせるんだ。
オスプレイがリコシェと同じリングに立って、互いに素晴らしいアスレチックなハイフライムーブを見せるのは素晴らしいことだろう。だが、オスプレイのベストマッチは俺との試合だ。試合自体がストーリーテリングであり、俺達の間には歴史があるからな。
◇
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