
Talk Is Jericho w/Rocky Romero 05.25.18
オープニングトーク
J「今回も東京ドームホテルから。ロッキーにとって新日本プロレスはレスリング団体であるだけでなく、オフィスでもあるよな」
R「その通りだ。本当はこんな収録するべきじゃないよ、Twitterで新日での勤務を求める書き込みが殺到してしまうから(笑)」
J「そうだろうな(笑) 俺もWARでは似たような役割を任されてたよ。ガイジンタレント達のための連絡係みたいなやつ」
R「うんうん。俺は去年よりだいぶ早く白髪が増えたよ」(両者笑)
新日での立場について
俺のニュージャパン・オフィスの中での仕事はROHやRPWのような提携団体とのスケジューリングの擦り合わせみたいなのが多い。
あとは所属タレントのパスポートやビザを手配したり……レフェリー兼ブッカーの”マイ・ボス”タイガー服部の補佐的役も多いかな。
日本での最初のツアーとロス道場の記憶
初めて日本でツアーをしたのは2002年のことで、ツアー中に20歳の誕生日を迎えた。そのツアーには他にもダニエル・ブライアン(現WWE)やリッキー・レイズ(現LU)、TJパーキンス(現WWE)も参戦していたな。
30日間のツアーだったけど、そのツアーに行く直前まで10ヶ月間新日本プロレスのロス道場で授業を受けていたんだ。
道場にはサモア・ジョーもいた。あの時教えられたスタイルはプロレスリングというより、もっとシュートなものだったな。柔術をやったり顔面を殴ったり、アントニオ猪木に思い切り関節技をかけられたり……色々痛かったよ。
(J「俺も20歳の時に初めて日本に行ったんだ。全く違う、見たことの無い世界だった。
たとえば飲み屋に行って、ホステスとかいう可愛いフィリピンや日本の女の子がいっぱいいた時とか、彼女達に料金が支払われているのか、ナンパしていいのか、とか全然わからなかった(笑)
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えっあと8人も女の子いるの?大乱交じゃん……みたいな(爆笑)それで結局女の子達はいなくなるわ8万円の請求書は残るわ」(両者笑))
当時のお給料
俺が日本に行って面白かったのは、誰も俺達が受け取る金額を教えてくれなかったことだ。
日本に到着して飛行機を降りた時、「やった!ついに日本だ!新日本だ!成し遂げたぞ!」ってすごい喜んでたんだ。そうしたらいきなり封筒を渡されて「お、お給料だ…」って(笑) 最初の3週間は一切お金を使わなかった。
そうしたら最終週に会社の人から「じゃあ今からギャラの話をします。郵送か手渡しかどっちがいい?」なんて聞かれて俺達は「え!?給料もうもらったじゃないですか」となった。
それに対して、会社の人は「え?あれは日当」って(両者笑)
俺達はみんな「に、日当?え?1万円が?日当??本当に???」って(両者笑)(※30日のツアーであったため、ツアー中にギャラではない生活費として30万渡されていたことになる) それでその後はレスリングショップやDVDショップを回って欲しかった日本のDVDデッキとプロレスのDVDを買って回った(笑)
とにかく、当時の日本の給料のレベルは本当に高かったんだ。
新日本プロレスでのキャリア
俺はキャリアの殆ど─15年を新日本で過ごしている。とはいえブラック・タイガーとしての地位を与えられるまでは何度か出入りしていたんだけど。
(J「ブラックタイガーだったのか!?知らなかった…2代目?」)
マーク・ロコ、エディ・ゲレロ、シルバー・キングについでの4代目だ。
彼らは当時4代目タイガーマスクというコンテンツを抱えていた。だから対となる新しいブラックタイガーを作るという大きなアイデアがあって…たしかその時のブッカーはライガーだったな。
タイガーマスクは俺のことを気に入ってくれていて、会社に俺のことを推薦してくれていたんだ。
ブラックタイガーになるのは良かったけれど、今度は「4代目タイガーマスクは佐山本人をトレーナーに持つわけだし…ロッキー、英語を偽ってくれないか?ロコをトレーナーに持った感じで」なんて指令が下ったんだ。
だからブラックタイガーとしての最初の3~4ヶ月は酷いイギリス訛りで喋ってたな(笑)
◇
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