ロッキーロメロとクリスジェリコが語る、世界中で高まる新日本プロレス人気とブランド化、社内での特殊なポジション、日本初の試合

前回の続きです。ちなみに次回はカール・アンダーソンとの思い出話や中邑達の去っていく社内の空気についてです。

 

日本での最初の試合

日本での最初の試合は藤波辰爾の無我でのものだった。無我は70、80年代のゆっくりとしたテクニカルなスタイルの団体だ。俺達は新日本に出るものだと思って来日したけれど、違った(笑)

 

新日本での最初の試合は東京ドームのオープニングマッチ(垣原賢人 & 獣神サンダー・ライガー & タイガーマスク vs ダニエル・ブライアン & リッキー・レイズ & ロッキー・ロメロ)だった。俺達のセコンドには当時16、7歳のTJがついてたよ。当時のフロントは、まだ試合させるには若過ぎると考えていたようだったな。

 

再び新日本プロレスに帰るまでの日々

ブラック・タイガーとしての役目を終えた後、色々あって新日のロサンゼルスオフィスとちょっと揉めちゃったんだ。それで新日を去ってNOAHに行くことになった。

当時のNOAHは完全に新日本のライバルで、いい環境だったんだ。その後新日本プロレスは新しいトップを迎えて、俺は新日に復帰しようと試みたのに、今度はNOAHからそれを阻止されてしまったんだ。

 

俺は何とか新日本プロレスに帰ろうと努力を重ねていた。その過程で新日本の提携団体であるCMLLで職を得たけれど…その1年はとにかく貧しかったよ。結局俺はAAAに逃げて、新日には二度と戻れなくなってしまった。

この辺りの4年間は本当にグチャグチャで最悪だったな。ビジネスを理解するため、そして大人になるためには苦境に耐えなければならない時もある。結局俺が新日に戻ることができたのは2011年のことだ。それ以来はずっとここにいるよ。

 

自身の特殊な地位について

俺はここにいちばん長くいるガイジンだ。ロサンゼルスでも日本でもここに属しているからね。それに、長年外道やタイガー服部と共に世界中を回ってきたおかげで多くの知り合いがいるんだ。彼らは会社のシステムや業界の理を理解している俺のことを信頼してくれている。

 

俺は新日本プロレスとROHの提携関係に影響力を持っているんだが(※「アメリカに進出したい」と言ったタイガー服部の元にROH首脳陣を連れて行ったのはロッキーの手腕。その後契約に至るまで、殆どの手続きや交渉もロッキーが行っていたという)、この関係は俺達にとっても素晴らしいものだったと言えるよ。何たって俺達は今、ヤングバックスやコーディを初めとした様々な優れたタレントとコンタクトが取れているんだからな!

 

[毎度おなじみDDPヨガのcm]

 

高まる新日本プロレス人気

昨今の盛り上がりは本当に凄まじいよ。たった一年前でさえ、クリス・ジェリコを新日本で観られるとも、それを実現できる人間がいるとも考えたこともなかったしな。

これは正しくここが世界で最もクールな場所であることの証明になる。

 

今じゃワールド等のインターネットやAXSによって、人々はどこにいても新日のビッグ・タレントであるケニー、オカダ、タナハシ、ヤングバックスをこのステージで観ることができる。だから俺達は1万人相手のショー─ROHは組めない規模のショーを開催し、観客を熱狂させることが出来るんだ。

また、バレットクラブが誕生して以降、BCはジャパニーズ・レスリングの大使的な役割を担っている。WWE等の他のショーを観ていた人が「観客がみんな着ているあれは何のシャツだろう?」と興味を持つ。そこで調べるとNWOやDXのような日本のユニットだということが分かって、「じゃあ後で見てみようかな」となる。

 

(ジェリコ「俺はホラー映画ファンでもあるが、ジャパニーズホラーの…たとえば「リング」。あれは確かにジャパニーズの作品ではあるが、それは何も「日本人のために作られたジャパニーズスタイル」ではない。あれは世界中の人間に向けられたものだ。

新日本プロレスも同じだ。別に日本人のためだけのものではなく、ワールドワイドになれる。映画のスタイルもレスリングのスタイルも、「日本のもの」という(外国の人々が敬遠するorされる)訳では無い。寧それは一種のブランドとなるわけだ」)

 

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